まず、読譜は脳のどういうプロセスで行われているかを考えてみたいと思います。
楽譜を「見る」ことから始まります。
『まず、「見る」ということは、目の前にあるものをそのまま見るわけではなく、まず脳がここではこういうふうに見えているはずだと暫定的に作り出した映像があり、それを実際に見えているものと照合しながら、推論と実像のぶれを少しずつなくして、見るということを行っている。すべての視覚データをすべて脳に転送していたら、当然脳の負荷は増える。先に推論をすることで、省力化をはかっている。』引用:ChatGPT VS.未来のない仕事をする人たち より
さて、楽譜を読むということも、このプロセスを経ているのですが、もっと複雑になります。
まず、5本の線のどこに丸があるかを認識すること。これは先に述べた、暫定的に作り出した映像と実像との整合性をはかることが行われ、どこにあるのかが分かります。
次に、それはドレミのなんの音なのか?自分の蓄積したデータの中から探し求めるのですが、データがない、若しくは探せない場合は、 もう一つのやり方、ある基準の音から数えていくやり方を使用します。これはプロセスがたくさん増えるのでもっと時間がかかりますが、両方のやり方をマスターしなければ読譜力はつきません。
読譜の練習を始めた初期のころは後者のやり方で学習していくのですが、自分の中にデータが蓄積されるようになると、前者の自分の中の脳のデータと実像との整合性をはかるやり方で習得していきます。
しかし、88種の音の中からピンポイントで絞らなければ分かるまでに時間がかかりすぎて、結局『わからない』になってしまいます。 推論と正解のぶれをすこしずつなくして早く正解にたどり着けるように学習しなければなりません。繰り返し学習していく。つまり、ディープラーニングの仕組みとよく似ています。
学習をどれだけ継続できるかは脳の問題なのか、性格的なものなのかは専門家でないので分かりませんが、個人差は大きい感じがします。
楽器をピアノと特定して読譜の仕組みを考えると、88種の何の音かを考えて指をその鍵盤の上にもっていくというより、楽譜のイメージをみて鍵盤のイメージと合致する鍵盤に指を持っていく、という感じで楽譜を読みながらピアノを弾いているような気がします。